弘明寺商店街 [感想]
弘明寺商店街を歩く。かんのん商店街という。
商店街と云ってもチェーンが多くなっているのが実情だ。個人商店は厳しい。高齢で閉店した店も多いだろう。
いつまで賑やかさが続くか、分からない。今のうちに見ておこう。
大岡川に架かる橋。桜の季節は見事だろう。
商店街をとおりぬけ、鎌倉街道に出る。
昔は、目の前に横浜国大があった。今は、附属中学である。
横浜国大は移転した。現在は相鉄新線の羽沢横浜国大駅前にある。
商店街と云ってもチェーンが多くなっているのが実情だ。個人商店は厳しい。高齢で閉店した店も多いだろう。
いつまで賑やかさが続くか、分からない。今のうちに見ておこう。
大岡川に架かる橋。桜の季節は見事だろう。
商店街をとおりぬけ、鎌倉街道に出る。
昔は、目の前に横浜国大があった。今は、附属中学である。
横浜国大は移転した。現在は相鉄新線の羽沢横浜国大駅前にある。
弘明寺駅前 [感想]
ふらりと、弘明寺へ出かけた。家にいると、閉塞感が強まる。
弘明寺商店街方面ではなく、反対側に下りる。
なんでもない光景だ。
しかし、記憶が甦る。50年ぐらい前に、ここからバスに乗った。知人が入院している病院にお見舞いに行ったのだ。
あれから、もう50年か。その間、自分は何をしていたのだろう。おぼつかない。
知人は、病弱で、長生きしないと云われていたが、その後、40年を生きた。晩年はベッドに寝たきりだった。
介護されて生きるのは傍目には辛いように思えるが、本人はそんなことはないと云っていた。欲望がなくなると、案外楽に生きられるのだそうだ。
寝ている内に、段々ハッピーな気分になるのだそうだ。脳内麻薬物質が分泌されるに違いないと本人は云っていた。
唯一の望みは、暖かく柔らかな女に抱かれたい、ということだった。
弘明寺商店街方面ではなく、反対側に下りる。
なんでもない光景だ。
しかし、記憶が甦る。50年ぐらい前に、ここからバスに乗った。知人が入院している病院にお見舞いに行ったのだ。
あれから、もう50年か。その間、自分は何をしていたのだろう。おぼつかない。
知人は、病弱で、長生きしないと云われていたが、その後、40年を生きた。晩年はベッドに寝たきりだった。
介護されて生きるのは傍目には辛いように思えるが、本人はそんなことはないと云っていた。欲望がなくなると、案外楽に生きられるのだそうだ。
寝ている内に、段々ハッピーな気分になるのだそうだ。脳内麻薬物質が分泌されるに違いないと本人は云っていた。
唯一の望みは、暖かく柔らかな女に抱かれたい、ということだった。
随想 [感想]
11:28 2022/10/13
●永井荷風作「深川の唄」冒頭。「四ッ谷見付から築地両国行きの電車に乗った。別にどこへ行くという当てもない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺すられるのが、自分には一種の快感を起こさせるからである」
永井荷風もそうだったのかと思う。私も乗り物に乗るのが好きだ。ボンヤリと窓外の景色を見るのが。流れていく景色を見ているのかいないのか、それも気にしない。
歩くのがしんどくなったので、なおさら電車やバスに乗るだけ、ということが多くなった。
16:13 2022/10/14
「京都に女王と呼ばれた作家がいた」(花房観音) 山村美紗の評伝。途中まで読む。山村美紗も朝鮮からの帰国子女だった。それ以上のことは知っても仕方ない。なぜこの本を買ったか。出版社の幻冬舎のバカでかい広告に乗せられたからである。いわば、衝動買い。山村美紗の生涯を知っても、どうということはない。今の私の生活とは無縁である。読む気が失せたのはそのためである。
後半は、飛ばし読みする。
山村美紗が亡くなったのは、1996年、もう26年前だ。噂の相手の西村京太郎は2022年3月に亡くなった。夫である山村巍は2022年8月に亡くなった。今年、亡くなったのだ。
訃報を聞くと、自分の死も間近だと思うようになった。
花房観音がいう現代の作家生活の方が面白い。印税長者は、昔の話。小説家で、小説だけで食べていけるのは、ごく僅か。そういう時代なのか。
山村美紗の膨大な小説は、今では本屋で見つけることが難しいそうだ。すぐに忘れ去られる。
17:15 2022/10/16
コロナ感染者は増えている。しかし、みんな、無関心なようである。自分は気にしない。罹ったら罹ったで、それも仕方ないとと思っている。
2年半のコロナ生活で、気力、体力ともめっきり落ちた。コロナ死者数が多いが、体力消耗の果ての結果であろう。
●永井荷風作「深川の唄」冒頭。「四ッ谷見付から築地両国行きの電車に乗った。別にどこへ行くという当てもない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺すられるのが、自分には一種の快感を起こさせるからである」
永井荷風もそうだったのかと思う。私も乗り物に乗るのが好きだ。ボンヤリと窓外の景色を見るのが。流れていく景色を見ているのかいないのか、それも気にしない。
歩くのがしんどくなったので、なおさら電車やバスに乗るだけ、ということが多くなった。
16:13 2022/10/14
「京都に女王と呼ばれた作家がいた」(花房観音) 山村美紗の評伝。途中まで読む。山村美紗も朝鮮からの帰国子女だった。それ以上のことは知っても仕方ない。なぜこの本を買ったか。出版社の幻冬舎のバカでかい広告に乗せられたからである。いわば、衝動買い。山村美紗の生涯を知っても、どうということはない。今の私の生活とは無縁である。読む気が失せたのはそのためである。
後半は、飛ばし読みする。
山村美紗が亡くなったのは、1996年、もう26年前だ。噂の相手の西村京太郎は2022年3月に亡くなった。夫である山村巍は2022年8月に亡くなった。今年、亡くなったのだ。
訃報を聞くと、自分の死も間近だと思うようになった。
花房観音がいう現代の作家生活の方が面白い。印税長者は、昔の話。小説家で、小説だけで食べていけるのは、ごく僅か。そういう時代なのか。
山村美紗の膨大な小説は、今では本屋で見つけることが難しいそうだ。すぐに忘れ去られる。
17:15 2022/10/16
コロナ感染者は増えている。しかし、みんな、無関心なようである。自分は気にしない。罹ったら罹ったで、それも仕方ないとと思っている。
2年半のコロナ生活で、気力、体力ともめっきり落ちた。コロナ死者数が多いが、体力消耗の果ての結果であろう。